2011年1月9日日曜日

ライ麦畑でまたも迷子。


























Flickr(149)アップしました。

去年、ちょうど1年前ぐらい
”ライ麦畑でつかまえて”や”フラニーとゾーイー”で有名なJ・D・サリンジャーが
亡くなりました。91歳でした。
亡くなったときには、様々なブログなどで追悼文的なものが (それもかなり情熱のこもった)書かれていて、(音楽好きにはサリンジャー好きが多い物だな、と思ったものです。
といっても、全世界で6,000万冊!も売れているので、そういうわけではないのかも。)
そうだな、それなら自分もひさしぶりに読んでみようかなーなど思っていましたが、
実際は読まないだろうなーと思っていました。

”ライ麦畑でつかまえて”は主人公のホールデンが学校を退学になって放浪して、
世の中の多くのことがインチキだと悪態をつく小説なのです。
(それだけじゃー6.000万冊も売れるわけないので、wikipediaの解説を引用すると
こんな感じです。)

大戦後間もなくのアメリカを舞台に、主人公のホールデン・コールフィールドが3校目に当たるボーディングスクールを成績不振で退学させられたことをきっかけに寮を飛び出し、実家に帰るまでニューヨークを放浪する3日間の話。
自身の落ちこぼれ意識や疎外感に苛まれる主人公が、妹に問い詰められて語った夢:<自分は、広いライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、気付かずに崖っぷちから落ちそうになったときに、捕まえてあげるような、そんな人間になりたい...>が作品の主題となっている。このクライマックスシーンを導くために主人公 の彷徨のストーリーが積み重ねられている。

そんな感じなのですが、
当時の自分としては、んなことわかっとるわいという感じであったのもあり、
別にいまさら読まなくてもよいでしょうなどと思っておりました。
そして、先日、本棚を整理していると、何気ない感じで”ライ麦畑”を手に取ってしまい、
その何気ない感じが本当に何気ない感じだったので、お、読むなら今だと思い読んでみました。

自分としては、かなり上から目線で
”ホールデン分かるよ、たしかに近頃よくわからない。だけども雨も降り、風も吹くー”と
奥田民生の愛のためにのような心境で読んでやろうと思っておりました。ところが、読み始めた数日間、やたらインチキなことがいくつか眼前におきてしまって、
”ホールデン、心の友よー”ってな感じのジャイアン的な読み方になってしまい、
いわんこっちゃない、いい歳して。だから、読まなきゃよかったんだよ、と思いつつ、
読んでしまったものはしょうがない、ライ麦畑でまたもや迷子になろうと決めたわけです。

読むものだけではないですが、音楽にしても、映画にしてもなんでもいいですが、
読んだり、聴いたり、見たりするタイミングというのはなかなか面白いものです。
2003年に出た、村上春樹訳のタイトルは原文のままで
”キャッチャー・イン・ザ・ライ”となってましたが、
”ライ麦畑でつかまえて”というタイトルはとてもよいと思う。
(過去には”危険な年齢”とか”ライ麦畑の捕手”なんてタイトルもあったようです。)



イッツ・オールライト 佐野元春

ではでは、また。

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