2011年6月16日木曜日

ほんだんすかえ










































Flickr(334,335)アップしました。
ついに10000枚突破です!

今日はこちら。





林家正蔵 - 五人廻し
林家正蔵 - 五人廻し2

林家正蔵といっても、こぶ平ではなく、
その前の、8代目、林家彦六のもの。

五人廻しのあらすじはwikipediaによると、
以下のようです。

関東の遊郭には「廻し」という制度がある。一人の遊女が一度に複数の客の相手をするのであるが、遊女の嫌な客になると長時間待たされたり、ひどいのにはちょっとしか顔を見せない「三日月振り」とか、全く顔を見せない「空床」「しょいなげ」。来てもすぐ寝る「居振り」などがあるので、客はたまらない。しばしばもめ事が起こってしまう。
そんな客の苦情を一手に引き受けるのは、「若い者」「妓夫太郎」(ぎゅうたろう)と呼ばれる男性従業員である。吉原のある遊郭、遊びは終わって、客と遊女が床にはいる大引け(午前2時ごろ)も過ぎたころ、若い者は、客たちからお目当ての遊女が来ないと文句を言われて四苦八苦である。
一人目の客からはさんざん毒づかれて、吉原の由来まで聞かされた揚句、「ぐすぐすしてやがると、頭から塩かけてかじっちゃうぞっ!!」と一喝される。
「少々御待ちを願います。ええ、喜瀬川さんえ」と汗だくになって遊女を探しているが、二人目の客に「ちょいと廊下ご通行の君」と呼ばれる。今度は薄気味悪い通人で、ねちねちと責められ、「君の体を花魁の名代として拙に貸し給え。」と迫られ、焼け火箸を背中に押しつけられそうになる。
ほうほうの態で逃げ出すと、三人目の客に捕まる。権柄づくの役人で「小遣!給仕!」と呼ばれ、さんざん文句を並べて「この勘定書きに、娼妓揚げ代とあるがね。オイ、こら何じゃ。相手が来んのに揚げ代が払えるか。法律違反じゃよ。」と責められる。
「へえ。お待ちくださいまし。」と逃げだせば、四人目の客が「若けえ衆さあん。若へえ衆さあん。ちょっくらコケコ!」と呼んでいる。「鶏だね。どうも。・・・へい。何でげす。杢さんじゃありませんか。」見れば馴染みの田舎客である。
だが、この田舎客も前の三人と同じ苦情を並べたて「ホントにホントにハア。ホントにイヤになりんこ。とろんこ。とんたらハア。トコトンヤレ、トロスク、トントコオ。オウワアイ!」と意味不明の叫びをあげて若い者を呆れさせる。
そんな騒ぎをよそに遊女の喜瀬川はお大尽と遊んでいるが、若い者の知らせにお大尽の方が気にして「おい。花魁。どうも困ったことじゃな。ワシが揚げ代を他の四人に渡してやるちゅうに、帰ってもらうべえ。」「じゃあ、わちきにもお金をくんなまし。」「お前に銭こ渡してどうする。ほれ。」「ありがと。じゃ、このお金を主さんに上げますから、四人と一緒に帰ってくんなまし。」



もう亡くなってしまいましたが
江戸研究家の杉浦日向子さんの
エッセイを、このごろよく読んでいて、
とても面白い。

ロンドンにV&A Museumというのがあって、
1日どころか、1週間いても飽きないぐらいの
すごい展示物があって、
世界各国の様々なものがあるのですが、
(ちょっといぢわるに言えば、植民地時代、
どんだけちょこまかしてきたんだ、こいつらは、
といえないこともないですが。)
そこに、日本だけのものが展示してあるコーナーがあって、
日本でも、これだけのもの一斉に見るのは
なかなか難しいだろうっていうぐらい豊富で
とても面白い。
そして、他の国や地域の展示物と比べて
すごいなあと思うのが、産業革命以前のもので
これだけ庶民のために作られたものが展示されてあるのは
日本のコーナーだけなんじゃないかな、というところでした。
他の国や地域のものは
王様とか、そういう偉い人たちのものであったり、
宗教関係のものであったり、あるいは芸術というより、
民俗学的に重要なものであったり、という感じですが、
浮世絵にしろ、根付にしろ、
江戸時代の庶民が自分たちの人生を彩るために作られたもので、
よく言われることですが、
やはり、300年近く戦争もなく、
基本的に平和に暮らすことができたというのは、
本当に幸運だったんだなあなどと思ったりもしました。

そんなわけで、落語も好きだし、
以前から江戸文化には興味があったのですが、
江戸時代の吉原やその周辺のエッセイをこの間読んで、
それがとても面白かった。
「男一度は伊勢と吉原」といわれるぐらい
当時の男にとっては重要なものだったらしく、
岡場所(品川、板橋、深川、新宿)と呼ばれる場所は
今でいう、風俗に近いもので、要はちょっとぬいておこう、
というときに行く場所だったらしいのですが、
吉原は、ちょっと違っていて
そのシステムというか段階があって、
一度目は「初会」で何もできない。
二度目は「裏」といって一言二言お言葉を賜る、
三度目は「馴染み」となって、そうなると食事のときに箸袋に
お客さんの名前が書いてあって、それが、うれしくて
お客さんが通うようになる。
お客さんのほうがへりくだっているわけです。
そして、吉原の醍醐味は
お金を払って、それなりの遊びを買うのではなく、
単にお金を使いにいく、そして、いかに気持ちよくお金を使わせるか
ということだったそうです。
遊女が嘘をつくのは当たり前で、それと承知でだまされにいく、
”女郎のそら涙”というのがあって着物にミョウバンを染み込ましてあって
必要なときにこすって、涙を出す、というのもあったそうです。
客と遊女が「本気にならない」という前提で遊ぶということ。
そして、遊女はもちろんたくさんのお客を相手にするのだけど、
お客のほうは一人しか相手にしてはいけない、
お客に「貞操」を要求するわけです。

こんなエッセイを読んでいて、
そして、Yahooニュースなど読んでいると
おー!となるわけです。
そうです、AKB48じゃないですか、これは。

秋元康は”オタクのための吉原”を作ったんだ、
というのは、飛躍しすぎかもしれませんが、
もしかすると、ビジネスモデルとして、
参考にしたということは、あり得るかもしれませんね。

実際、当時は吉原の遊女というのは
現代のアイドル的なところがあったようで
浮世絵や洒落本なんていうのも、
いわゆるエロ本というより、写真集やアイドル雑誌に
近かったようです。
人気投票的なものだったり、格付け的なものが
あったというのも、いわずもがな、というところでしょうか。
余談ですが、春画というのが、エロ本的なものらしく、
”馬鹿夫婦春画をまねて手をくじき”
なんて、川柳もあったようです。
(この川柳を現代に置き換えると
三こすり半劇場であることに異論はないでしょう。)

遊女がお客をおしおきしたり、
たたいたり、つねったりして
お客のほうもそれを楽しんでいくというのも
いまでいうと、SMというより、
”ツンデレ”に近いのかもしれませんね。

”世界最初の職業”といわれるぐらい
売春というのは世界の至るところであるようですが、
それとは、また別の
吉原にせよ、AKBにせよ、キャバクラにせよ、
コスプレにしろ、イメクラにしろ、
日本人の”ごっこ好き”と、それに対する情熱というのは
本当に頭が下がります。
そして、それはちょっとやそっとのものではなく
何百年の歴史があるもんなのだなと吃驚仰天してしまうわけです。
AKBだけじゃなくてもアイドルの娘たちが
恋人なんかできると、烈火の如く怒る人がいますが
そういう視点でみると、やっぱり、
最悪のルール違反なんでしょうね、おそらく。
何百万も使って、そこで、
そういうことがあると、がっかりしてしまうのも
わからないわけではないですが、
それだと、
”金払ってるんだから、なんとかしろよ”とかいう
野暮な考えになってしまうわけなので、
気持ちよくお金を使わせてくれたことに感謝するというのが
”ごっこ遊び”のルールなのかもとも思いますが、
現代はそのお金の行き先が、女の子ではなく、
偉いおっさんたちや、大きな企業のところにいってしまうというのが
わかってしまっているので、
なんとも、やるせないのかもしれませんね、
”ごっこ遊び”も。

どちらにせよ、
AKBの娘たちは
こぶ平、じゃなかった、秋元康や
他の偉い人たちに、操られてるとみせかけて
 ”五人廻し”の遊女のように
したたかに、たくましく、しなやかに
そして、かわいらしく生き抜いていってほしいものです。

ではでは、また。

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