2012年2月20日月曜日

小さなダンサー



























































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猫ブログもアップしました。

以前のブログでも
書きましたが、
この所、向田邦子さんの小説、エッセイに夢中で
昔読んだ、"父の詫び状”というエッセイ集を買いなおしてみたのですが、
電車の中で読むには向いていないようで
くすくす、にやにやしてしまってしまったわけなのです。
(ちびまるこちゃん〜ダーリンは外国人なんかの流れをくむ
”自虐系家族コメディー"の元祖的存在なのでは。
このジャンルは女性が圧倒的に強いですね。)
きめ細やかさと繊細さと同時に適当さとおおらかさが
あって、なんともよい気持ちになってしまいます。
古本屋さんで、買ったために、
そこには、文章の横に、
ふりがなを振ってあったり、
意味が書いてあったりしておりました。
おそらく、日本語を勉強中の外国人が読んだのではないのかなあ
などと想像できますが、
もちろん、その本を読んでいた人のことなど知りませんが、
思わず、ナイスチョイス!と膝を打ってしまったわけです。
自分はリアルタイムで彼女の書いた小説やテレビドラマなどを
みた世代ではないですが
(おそらく40代以上の方以降からだとリアルタイムかな。)
"寺内貫太郎一家”や"阿修羅のごとく”、”冬の運動会”など
旧き良き日本だとか、昭和だとか、家族だとか
そういうタームで語られることが多いと思うし、
実際、そういうものが多かったりしますが、
むしろ、旧き良きといういうよりも
いろいろ変わってしまったとはいえ、
どうやったって(少なくても、もうしばらくの間は)
逃れることのできない
日本人のユーモアセンスだったり、
おかしさだったり、哀しみだったりするのではないかと、
思ってみたりもしたりして、
もしも、自分が日本語を勉強中の外国人に
なにか、よい本はないかなと訪ねられたら、
この本を薦めてみようと、心にきめたわけなのです。

"男どき女どき”という、
他の短編、エッセイ集に
"日本の女”という外食についての
短いエッセイがあるのだけれど
そこから、少しだけ引用させていただきます。

”数えるほどだか外国を廻ってみて、西欧の女たちが、
料理の注文ひとつにも、実にはっきりと自己主張をするのを、
目の当たりに見て来た。正しいことだし、立派な態度だといつも感心する。
見習わなくてはいけないと感心しながら、私はなかなか出来ないでいる。


ひと様の前で「みっともない」というのは、
たしかに見栄でもあるが含羞でもある。
恥じらい、つつしみ、他人への思いやり。
いや、それだけではないもっとなにかが、
こういう行動のかげにかくれているような気がしてならない。
人前で食べることのはずかしさ。
うちで食べればもっと安く済むのに、といううしろめたさ。
ひいては女に生れたことの決まりの悪さ。
ほんの一滴二滴だがこういう小さなものがまじっているような気がする。
もっと気張って言えば生きることの畏れ、というか。

ウーマン・リブの方たちから見れば、
風上にも置けないとお叱りを受けそうだが、
私は日本の女のこういうところが嫌いではない。
生きる権利や主張は、
こういう上に花が咲くといいなあと、
私は考えることがある。”

日本以外の人がこの文章を読んで、
全く理解ができないのか、
あるいは共感できるのかは
わからないけれど、
自分は女性ではないけれど、
こういう文章を読んで、
ふっと体の中に染みわたってしまう感覚は
やはり、日本という風土に生まれ育ったからなのかなあ
などと思ってみたりもします。
ちなみに、この文章が書かれたのは
自分が2歳のときだそうです。

そんなわけで、長くなってしまいましたが
今日はこの曲。
彼女は作家で脚本家で
バレリーナでも音楽家と結婚したわけでもないですが、
なんとなく、この曲が思い浮かんでしまいました。



Elton John - Tiny Dancer

ではでは、また。

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